株式会社 アイシンク
代表取締役 松尾 慶祐
T、医王石の歴史


 医王石という石は正確には存在しません。 医王山という山から採取されることから「医王石」という俗称で呼ばれてい
るのです。医王山は山岳信仰で 有名な白山がある白山山系の最北端に位置し、富山県と石川県の長い県境に横たわる山です。加賀前田藩の家老が残した医王山風土記によりますと、医王山は山岳信仰の祖として有名な役小角の弟子にあたる泰澄大師が開山した山であります。約1200年前、時の帝である桓武天皇が重い病気 にかかられた折、泰澄は当山の石を帝に献上し、帝の病を治癒させました。この功により泰澄は帝より大師の称号を授けられ、以後は「医の王の山」つまり医王山と称することを許されました。

  「医王石」は三国志にも記述が認められ、仙人の住む山、即ち宗教のメッカをもさす名前です。時代は下がり、江戸初期、加賀前田藩では医王山を薬 草・薬石の採取地として直轄し、一般人の入山を禁止しました。当時、前田藩の上級武士邸の庭には、御影石でできた普通の燈篭と、更にもう一つ医王石でできた小振りの燈篭を意識的に置いたそうです。

 医王石は風化しやすい石ですから、医王石でつくられた燈篭は表面から次第に崩れていきます。そして、そのかけらは大切に集められ厠へ投げ入れ られたそうです。(脱臭)

 また、病人が出ると、燈篭を砕いて、そのかけらを薬草と一緒に煎じたそうです。(浸透圧作用)
これが薬石といわれる由来です。

 医王山の麓、金沢市に江戸時代より続く老舗「森八」という和菓子屋があります。ここの羊羹は東京でもかなり多くのファンがいるようです。その理由 として、美味しいということは勿論ですが、日持ちがとても良いということです。

(羊羹ですから腐らないのではなく、カビが生えない。)

また、同じ金沢市内の菊姫酒造で造られる「菊姫吟上」というお酒も非常に人気があります。とても高価な物ですが、昔からのお得意様の予約がいっぱいで、一般には出回らないそうです。この「森八」と「菊姫酒造」には、1つの共通点があります。それは双方とも工場内に医王山の伏流水がこんこんと湧き出る井戸を持っているということです。森八の羊羹も菊姫吟上も、この井戸水を使って造られていることは、言うまでもありません。(酸化防止)

ご承知の通り金沢は金の産地でもありました。医王山にも多くの金鉱区が設定されています。

この金の含有が何等かのプラス作用をしていることは間違いないと思われます。
U、医王石の組織
 地質学的にみると、医王山は日本列島にフォッサマグナが生じた時に海底火山が隆起して出来た山であります。採石中にクジラの化石をはじめハマグリを主とした貝類、貝藻類の化石が多く出てきます。従って、第三白亜紀に属するものと推定されます。

医王山の植生には非常に興味深いことがあります。

それは特にカエデ科の植物と熊笹に顕著に現れています。カエデは落葉樹でありますが、医王山には落葉しないカエデがあります。熊笹も冬季には葉の先端が褐色に変化しますが、冬でもきれいな緑色の葉を持つ熊笹が医王山にはあるのです。

よくよく調べてみると、それらは全て医王石の上に生えていたのです。俗に医王石として市場に流れているものには緑色・黒色・赤色の三種類があります。

別表の分析表を見てもわかるようにその成分は大差ありませんが、目視によってそれぞれが更に三種類、つまり全部で九種類に大別されます。緑は石英閃緑岩・緑石凝灰岩・蛇文岩系に、黒はガラス岩鉱石・石英斑

岩系・雲母系に、赤は石英斑岩系や俗にいう佐渡の赤石系などに分かれます。また、硬度・比重などもそれぞれ異なります。私共は約35年程前、一鉱区平均約千万坪の試掘鉱区を11鉱区保有しておりました。しかし、その鉱区のすべてが有効利用出来るというものではありませんでした。それぞれの鉱区の石ごとに、植物の育成・動物の育成などの場において「成長を促進するのか」「死にかけたものが治るのか」という境目で数多くの試験を繰り返してきました。

その結果、見た目は同じでも「効く石」と「効かない石」があることがわかりました。従って、結果が期待されない鉱区は惜しみつつも手放して参りました。

現在は「必ず効く」二鉱区を保有しております。



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